2021年5月の発売以来、その制作数の少なさもあり、地元道の駅・ピア21しほろ だけでの販売にも関わらず品薄が続くアイテムとなったのが「士幌 クマ印バッグ」です。
レトロなデザインと質感が魅力のご当地土産が誕生した背景には、いくつかの偶然が重なる幸運がありました。
<商品開発の背景>
クマ印バッグを制作しているのは、北海道士幌町のしほろほのぼのホーム共同作業所。障がい者就労支援施設です。作業所は、施設清掃や単純作業など、さまざまな事業を受託しながら運営を続けていました。
しかし、受託作業には繁忙期と閑散期の波があります。とくに閑散期への対策として、施設独自の商品を開発することができれば、というのが課題となっていました。
従来の受託作業は、名刺印刷やコーヒーカップの糊付けなど、単純で安価な作業を数多くこなすことが中心。これを転換できないかというのが、オフィス・シロの提案でした。安価でなくても納得してもらえる商品を手間をかけて作ること。全体としては複雑な工程も、一つ一つを単純作業に分けていけば、作業所の守備範囲に収まります。
<埋もれた宝の発見>
それでは何を作るべきか。頭を悩ませているときにたまたま目にしたのが、20キロ米袋を再利用したトートバッグでした。使い込まれた風合いと味わい深いデザイン、そして素材の頑丈さはお墨付きです。広大な畑が広がる士幌町には東洋一の規模を誇る馬鈴薯コンビナートを有するJA士幌町もあります。
米袋ではなくとも、業務用サイズの廃棄される袋はあるかもしれない。そう考えてGoogleで検索した結果、たった1枚だけ表示されたのが、「クマ印 士幌でん粉」という文字と木彫り熊の親子がデザインされたJA士幌町のでんぷん袋でした。
<クマ印バッグ誕生>
絶対に売れる。まさに埋まっている宝を掘り当てた瞬間でした。
作業所の担当者がJAと交渉すると、ハネ品を快く提供してもらえることになりました。そして、その場でクマ印の物語がもう一つ明らかになります。必ずしもヒグマの多発地帯ではない士幌町で、なぜヒグマを、それも木彫りのクマをモチーフにしたデザインが採用されているのか。よく考えてみると不思議なことです。
その謎を解くカギは数十年前にありました。初代でんぷん工場の工場長が、「クマザワ」さんだったのです。
現在ではもしかするとあり得ないかもしれない発想から生まれたデザインが、多くの人たちの目を引く人気アイテムに化ける。まだ身近に埋もれているこうした素材は数多くある。オフィス・シロではそれを確信しています。
JAから提供を受けたでんぷん袋を、形を損なわないように加工し、持ち手を取り付ける。その工程を単純化していくには、作業所担当者の試行錯誤が必要でした。掘り出した宝は時として、磨き上げなければ光りません。しかし、一度輝きを取り戻した宝は将来に向かって長く光を放つことでしょう。
<未来への展望>
作業所では現在、でんぷん袋から「士幌 クマ印バッグ」を制作する作業と並行して、同じでんぷん袋の端材を活用した「カード入れ」や、クマ印をデザインしたシルクスクリーン印刷によるオリジナルグッズの制作にも取り組んでいます。
受託作業の他に独自の作業を生み出した作業所では、今日も利用者の皆さんが忙しく仕事に取り組んでいるそうです。
1つの宝を掘り当てることで、それがさまざまな形で活用されて多面的に展開されていくことは、オフィス・シロが望む理想の形です。
灰をまくと満開の花が咲く「花咲かじいさん」の昔話が象徴するような、理屈や論理を超えて佳き結果が花開く展開を楽しみたいのです。
「士幌 クマ印バッグ」はメディアでも紹介されています。