タウシュベツ川橋梁その稀有な歴史
古代ローマの遺跡を思い起こさせるようなコンクリートアーチ橋・タウシュベツ川橋梁。
北海道十勝地方の北部、大雪山国立公園にある鉄道遺構です。
作られたのは1937年のこと。当時この一帯は道路も通らない深い森の中でした。帯広-十勝三股(とかちみつまた)間を結ぶ旧国鉄士幌線に架けられました。
短い間に時代は巡り1955年、電力需要への対応として同地に水力発電ダム・糠平ダムが建設されます。音更川を堰き止めることで、周囲34キロにも及ぶ広大な糠平湖が誕生し、タウシュベツ川橋梁はその湖水に沈むことになりました。
季節とともに変化する姿:幻の橋
しかし、橋の歴史はそこで終わりませんでした。
国鉄が所有権を手放した後もそのまま残置された橋は、年間20~30メートル上下する糠平湖の水位変動とともに、水没と出現とを毎年繰り返すことになります。ときに水面下に消える「幻の橋」としての歴史は、鉄道橋としての役目を終えてから始まりました。
北海道では、暖房のための電力需要が冬季にピークを迎えます。そのため、糠平湖の水位は秋の終わりにピークとなり、春先に最低水位を迎えます。冬の糠平湖周辺では、最低気温が-25℃を下回ることもある真冬日が続くため、水の中から現れるタウシュベツ川橋梁も凍結を免れません。橋に染み込んだ水が凍結融解を繰り返すことで、コンクリートの劣化は一般的な建造物よりはるかに速く進みます。その速さは通常の50倍とも言われるほど。水没するようになってから60年以上を経たコンクリートは、単純計算で3,000年前のコンクリートと同様の劣化を示しています。
古代ローマの遺跡を思わせる佇まいは、アーチ構造だけでなく、そんなところにも由来しているのかもしれません。
かつては埋もれた宝物
さて、この橋が近年までほとんど知られていなかったとしたら驚かれるのではないでしょうか。
オフィス・シロ主宰の岩崎が記録を撮り始めた2005年当時、ここを訪れる観光客は皆無と言えるような状況でした。
もちろん橋は当時からここにあり、むしろ現在よりも端正な佇まいだった頃のことです。
「今ここに埋まっている宝物」。まだ誰の目にも止まっていない価値を見つけ、今に至るまで撮り続けてきたことは、オフィス・シロを立ち上げるに至る契機にもなりました。
次のタウシュベツ川橋梁を、オフィス・シロは見つけます
埋まっている宝物としてのタウシュベツ川橋梁を掘り起こすにあたり、当初から写真展開催や写真集の出版に取り組んできました。そのための資金調達としてクラウドファンディングプロジェクトの立ち上げと実行、さらに付随するオリジナルグッズの開発なども行っています。
結果として、現在ではテレビや雑誌など各種メディアによって紹介されるケースも増えました。広告出稿料に換算すれば、数百万円から数千万円に相当します。スモールスタートで予算を作りながらプロジェクトを実施し、徐々に全国区へと展開するプロセスを、オフィス・シロでは形にしていきます。
<タウシュベツ川橋梁の商品展開例>
タウシュベツ川橋梁オリジナル切手
日本郵便株式会社が製作するオリジナルフレーム84円切手シートにタウシュベツ川橋梁の写真を提供しました。
2023年4月に第1弾を700部製作したところあっという間に完売し、同年7月に第2弾を1,450部製作する運びとなりました。
オフィス・シロには、2005年から撮り続けてきた豊富な写真ストックがあります。日本各地、あるいは世界の北海道ファンに向けた商品開発のお手伝いをいたします。
タウシュベツ日誌編集室を運営しています。